一輪奏

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〝右、木曾殿は何とやうに謀反をおこされてあったぞ?その由来をもお語りあれ〟
 その一行だけを書いた白紙が、ハビアンの目の前に広がっていた。
 次は喜一検校の台詞が来なければならない。ハビアンは新しい行の冒頭に「喜、」と記した。だが筆は動かなかった。
 知らず知らずのうちに、喜一検校の語りをロレンソのそれとして書いていたことにハビアンはようやく気付いた。ロレンソの受け答え、戯れ言、昔語りの口ぶり、それを写し取って喜一にまとわせていた。そのロレンソはもういない。少なくとも地上には。
――了一! 了一!
「……いかに検校の坊、平家の由来をお語りあれ」
 返事はない。
(どんなに力を注いで和らげを進めても、聞いて下さるお方はもうおらぬ)
 庭で何かが動くのが視界に入った。見ると、セキレイが長い尾を上下に振りながら流れるように地面を走り、飛び立っていった。庭は再び静かになり、ハビアンは小さく一つ息をついた。
 そのとき、ふすまが開いて同宿が顔を出した。
「ハビアン殿、司(つかさ)パードレがお呼びでござる」


「カノウナイゼンという者を知っているかね。画家だそうだが」
 ゴメス準管区長の部屋に入ったハビアンに、一枚の手紙が差し出された。字はコスメのそれである。文面に目を走らせると、「絵師狩野内膳」という文字があった。
「ジョアンとコスメがようやくミヤコを発って、九州へ下る途中でその男と知り合ったらしい。エウロウパの文物に関心があり、天草のコレジオを見学したいというので一緒に連れて下ると書いてきているんだが……どうも心配でね。関白殿お抱えの画家だというじゃないか。いや、今は『太閤様』だったかな」
 秀吉は前年に関白職を甥の秀次に譲り、それ以来「太閤」と称していた。
「ともかく、彼が我々コンパニアの様子を探る目的でないとは言い切れないと思うんだ。そうかと言って断れば、やましいことがあるのだと関白――太閤様に報告されかねない。君はミヤコ育ちだそうだが、この画家について何か知らないかね?高名なのか?」
 かつて身を置いていた京の禅寺に狩野永徳のふすま絵があったのを、ハビアンは思い出した。だが狩野派についてそれ以上の知識はない。
「正直言って、分かりません。狩野派と言えば名高い絵師の一派ですが、私が名を知っているのは狩野永徳くらいで……内膳という者は聞いたことがありません」
「そうか」
ゴメスが残念そうに肩を落とした。
「参考にならず申し訳ありません。絵の方面には疎いもので」
 そもそも絵を描く方もハビアンは不得手である。志岐でもパードレ・ニコラオにそう話した――と思い返したとき、口から「あ」と声が出た。
「こうしてはどうでしょうか。志岐の画学舎だけを見せるのです。そうすれば河内浦までは来ませんし、絵師なら画学舎だけでも十分満足できるのでは」
 ふむ、と言ってゴメスは少し考え、うなずいた。
「それなら問題なさそうだ。画学舎なら差支えないと返事を出そう。いい案をありがとう」
 いえ、と一礼して部屋を出ようとしたハビアンの背中を、「ああ、そうだ」というゴメスの声が引き止めた。
「君は私の手紙を持って志岐へ行き、コスメたちの一行を出迎えてくれ。案内などもしてやるといいかもしれないな」
 唐突な指示だった。ハビアンは思わず聞き返す。
「案内? 私がですか」
「その肺を新しい空気で満たせば、少しは気散じになるだろう。ロレンソが天に召されてからこちら、君はまるで抜け殻だぞ。その様子では平家物語とやらの口語訳も進んでいまい」
 図星を突かれて、ハビアンはぎくりとした。なぜ準管区長にそれが分かったのだろう。
「早々に出発するように。準管区長として命じる」
 柔らかいが有無を言わせぬ口調に、従わないわけにはいかなかった。


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by stan-nak | 2015-03-16 00:04 | 小説「海からの風」 | Comments(0)

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