一輪奏

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 志岐の司祭館(レジデンシア)には加津佐から画学舎が移動してきていた。絵の得意な会士や同宿が、南蛮風のキリストや聖人などの銅版画の制作に精を出している。絵の指導を受け持っているジョバンニ・ニコラオ神父の案内で、ハビアンは画学舎を見学させてもらった。
「みな上達が早いので驚いてるんだよ。練習次第で、エウロウパの聖画像と比べても遜色ないものができるだろう」
 パードレ・ニコラオは誇らしげに言った。
「本当によい出来で感心します。私にはこんないい絵は描けませんから、余計に」
「おや、絵は苦手かな?」
"Sim"(はい)と苦笑して答えたハビアンに、ニコラオは目を細めた。
「その代わり、主は君に文才をお与えになった。日本語の教科書執筆を任されたそうじゃないか」
「文才があるかどうかは分からないのですが……何とか進めています」
 今度はニコラオが苦笑する番である。
「君は謙虚だなあ。もう少し誇らしげにしたって誰も非難すまいと思うがね。そうだ、教科書ができたら表紙に絵を入れたらどうだろう」
「それは、――ぜひ。ありがとうございます」
「『サントスの御作業』はイエズスの絵にしたが、教義に関係ない本となると迷うね。何を描けばいいのか……何かいい図案があれば教えてくれ」
ハビアンが“Entendi”(分かりました)と答えようとしたとき、廊下から名前を呼ばれた。
「ハビアン殿、客人でござる」
 障子戸を空けたのは青い帷子(かたびら)の同宿である。
「身共に客?」
 ハビアンは首をかしげる。河内浦のコレジオならともかく、出先の志岐で自分に客など思い当たらない。
「それが、童(わらんべ)にて。昨日説教をなされたイルマン様に会いたいと」
 少年はレジデンシアの庭でハビアンを待っていた。
「そなたは昨日の……トマスだったか。何ぞ用か」
 濡れ縁に膝をついたハビアンに、トマスは無言のまま瓜を二つぐいと突き出した。その勢いに押されて、ハビアンは両手で受け取る。
「昨日は話の途中で帰って相済みまらせぬ。……それは、家の畑の瓜じゃ」
(わざわざ謝りに来たのか)
 ハビアンは瓜からトマスに目を移す。見つめられて、トマスは視線を反らした。
「それだけじゃ。では」
 そう言うと、トマスはくるりと背を向けて足早に立ち去ろうとする。
「これ、ちっと待て」
 ハビアンは慌てて庭に下りて追いかけ、その肩に手を掛けた。
「昨日は身共が何ぞ気に障ることでも言うたか」
 答えはすぐには返ってこなかった。トマスは自分の爪先でも見るように目を伏せ、唇をこわばらせていた。ハビアンは何も言わず、ただ言葉を待った。
「……おっかあがイルマン様と話しておったら、近在の女房衆に謗(そし)らるるかと思うて」
「どういうことじゃ」
「前にいた大村でも、男どもがおっかあの世話を焼こうとして寄ってきた。そのうちに女どもが、おっかあが男に色目を使うておると言うて除け者にしたのじゃ」
「男に、色目? 人の妻がそのような」
「おとうはおらぬ。ずっと前に戦で死んだげな」
 つまり、モニカは寡婦ということである。ハビアンにも話が見えてきた。モニカは美女というほどではない。着ている物も質素だった。しかし上(かみ)育ちらしい言葉や、何気ないしぐさが洗練を感じさせた。当のハビアンも、在所の女にはないものを感じて興味を抱いたことは否定できない。それが独り身となれば、黙っていても男たちの関心を引くことは想像がついた。必然的に女たちの反感を買い、居づらくなることも。
「……まあ、分からぬでもないが。モニカ殿は上のお育ちか?」
「摂津」
「摂津?」
 つい大声が出た。
「さような遠いところから、志岐までおじゃったというのか」
「詳しいことは知らん。おっかあは話してくれぬによって」
「……そうか」
 気にならないと言えば嘘になるが、強いて聞き出すのも何やら意地汚い。摂津育ちのモニカは、何らかの事情で息子のトマスを連れて下(しも)まで下ってきたということだ。
「詮索好きの女房衆には、格好の噂話の種であろうの」
 どこであれ田舎では娯楽が乏しいせいか、話題と言えば人の噂ということになりがちである。
「今は平気じゃ。志岐に来てからは、おっかあはあまり人と会わぬようにしておる。畑や染め物は家でもできるほどに」
 染め物と聞いて、ハビアンはモニカの被衣の淡い茜色を思い出した。
「……イルマン様は下(しも)のお方か?」
「身共か? 身共はもともと、都じゃ」
「都? 都は摂津より遠いのか?」
「いや、そう変わらぬ。そなたらのことは言われぬのう。身共もずいぶん遠くまで来てしもうた」
 ハビアンは口元だけで微笑を作った。
「それどころか生まれは加賀じゃほどに、摂津よりもまだ遠いわ」
「加賀?」
 トマスが目を丸くする。
「北国の、加賀か」
「おう」
「そんな遠いところから、天草までおじゃったというのか」
 先ほどのハビアンの言葉をそっくり真似て、トマスが言った。聡い少年なのだ。ハビアンは声を出して笑った。
「なかなか、その分じゃ」
 一緒に笑ったトマスが、年相応の子供の顔になった。
「トマスはいくつになる」
「十二」
「そうか。母御を大切にさしめ。十二の男子なら、母が難儀に遭えば守らいでは」
「分かった」
 トマスはうなずく。ハビアンはその顎に力強いものを感じた。
「身共はハビアンじゃ。いつもは河内浦のコレジオにおる。そのうち来てみさしめ」
 もう一度うなずいて、トマスは小走りで帰って行った。くっきりと落ちた影が、跳ねるように少年の後をついていく。アブラゼミが鳴き始め、間もなく何重もの合唱になった。


「ハビアン、イルマンから瓜売りに転身かい」
 河内浦に戻ってきたハビアンが腰に瓜を二つぶら下げているのを見て、バレトが軽口を叩いた。
「いえ、小さな信徒からもらったのです。井戸で冷やいておきまらしょうず」
「心得まらした」
「パードレ、『心得た』でようござる。『まらする』は目上に使う言葉でござるほどに」
 バレトの日本語の返事を訂正しつつも、ハビアンは上機嫌だった。ハビアンの顔を見てうなずいたトマスの力強い表情が目に焼き付いている。トマスの父は勇ましい武士だったかもしれないと思った。


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by stan-nak | 2014-08-05 23:03 | 小説「海からの風」 | Comments(0)

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