一輪奏

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2014年3月の雑談 その2

西日本新聞に、こんなコラムが載っていたのをツイッターで知りました。

「過失か作為か」「疑義」などの言葉が乱れ飛んだ論文を通じ、普段、門外漢には近寄り難い学術界の一断面を垣間見る思いがした。
……ただ、脳みそが軽いわが身には論文の中身はもとより言葉、意味そのものが分からない。ネット上に公開された大学などの論文にある「解釈的文脈」「モダリティ辞」「ディアスポラ」「語用論」って何? 高度な論文でなければ注目されず、不勉強と冷笑されもするだろうが、難解な言葉で自己陶酔する世界観が学術界に広がっていないだろうか。

 本来、研究は人、社会に役立つべきものと思うが、ネット上の論文には個人的な知的遊戯に浸っている物が少なからず散見される。



 それを分かりやすく噛み砕いて一般人向けの記事にするのが新聞の役目だろ、仕事しろ。と言ってしまえばこの話は終わってしまうのですが、実は青字部分を言いたくなる心境は分からなくもないのです。筆者が新聞記者かどうかを抜きにすれば、学者に対する「象牙の塔に閉じこもって、同業者にだけ通じる言葉で論文書いて満足してる(それを実社会でどうこうする気はない)んだろ」という感情は、学者でない人の間に少なからずある思いじゃないかという気がするんですよね。
 もちろんそれは、劣等感だったり嫉妬だったりの裏返しでしかないので(博士号なんて持ってないのが大多数なんですから)、公言しちゃうのはかなり恥ずかしいんですけども。
 とはいえ、自分の中にもこういう感情があるのは否定できないのです。正直に言うと、大学以外の企業や役所で雇われて働いたことのない学者先生に対しては心の底で「実社会を知らない」と思っているので、必ずしもそんなことはないとしばしば自らに言い聞かせないといけないほどです。
 なので、くだんの新聞コラムに対しては批判ツイートを多く目にしつつも、「私はこれ、批判できないわ。同じこと考えてるもん」と思ってしまうのでした。


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by stan-nak | 2014-03-24 22:59 | 雑談 | Comments(0)

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