一輪奏

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15

 坂口の屋敷はキリシタン大名の大村純忠――洗礼名バルトロメオ――が生前、隠居所として使っていただけに部屋数は十分あり、バレトも個室を与えられていた。窓際に置かれた机の上にハビアンは目をやる。ローマ字で半分ほどが埋まった和紙が置かれ、傍らにはやはりローマ字の、和綴じの書物が開きっぱなしになっている。その下から、見覚えのある版画が数枚のぞいていた。先月、ドラードがくれた聖画像の銅版画だ。
「わざわざ平家を持ってきてくれたとは有り難いね。加津佐からここまでは遠かっただろ」
「いえ、歩くのは慣れていますから」
 ハビアンはそう言って包みの中から口語訳平家の草稿を取り出し、バレトに渡す。バレトはろうそくの側に座り、数枚めくって見ていたが、漢字はまだ読めないと言うので結局ハビアンが読み上げることになった。
「まず平家物語の書きはじめには、おごりを極め、人を人とも……」

「殿上の闇討」までを読み終えて紙をめくると、自分が書いた「祇王」の文字に視線が沈んだ。
「どうかしたのか?」
「あ、いえ実は……迷っていまして。この段を入れるべきかどうか」
「なんで?」とバレトが尋ねる。坂口へ来る途中、歩きながら逡巡していたことをハビアンが口に出すと、バレトはとりあえず読んでみるよう言った。
「『清盛はこのように天下を掌(たなごころ)に握られたによって、世間のそしりをもはばからず、人の嘲りをもかえり見いで、不思議なことのみをせられてござる。……』」
「祇王」の段は比較的長い。ハビアンは所々で草稿から顔を上げ、簡単な説明を挟む。
「仏の歌の上手さに清盛が感心します。――『わごぜは今様は上手じゃ。この体(てい)では舞も定めてよかろうず。一番舞うほどに鼓打ちを呼べと言うて召された』……」
 清盛の屋敷を追い出され、母と妹と共に出家した祇王のもとに仏御前がやってくる。
「『かげろう、稲妻よりもなおはかない一旦の楽しみに誇って後生を忘りょうずることの悲しさに、けさ紛れ出でてかうなってこそ参ったれと言うて、かづいた衣(きぬ)をうちのけたを見れば、尼になって来た』。――ここで、仏御前も出家したことが明らかになります」
 ハビアンの説明に、バレトが不思議そうな顔になった。
「そのホトケという女は清盛に気に入られたんだろう? なぜ尼になる必要があるんだ。国王の寵愛を受けている女が修道院に入るようなものじゃないか」
「それは、何と言うか――現世で繁栄を得ることにどれほどの意味があるのかと気付いたからでしょう。『娑婆の栄華は夢の夢なれば、楽しみ栄えても何にしょうぞ』とあるのはそういうことです。祇王もそれを『これほど穢土(えど)を厭うて、浄土を願おうと深う思いお入りあったこそまことの大道心(だいどうしん)とは見えたれ』とたたえているのですから」
「『穢土を厭う』っていうのは?」
「穢土とはこの世のことです。この世での栄華を捨てて」
 説明しようとするハビアンをバレトが手で制した。
「どうかされましたか」
今度はハビアンが尋ねる番である。
「……いや、やっぱりいい」
「言いかけてやめないでください。何ですか」
「うん、あのさ。それ、『コンテンツス・ムンヂ』に似てないか?」
「――」
 ハビアンははっとした。
〝世を厭ひて天の国に至らんと志すこと、最上の知恵なり。しかるときんば、果つる宝を尋ね求め、それに頼みをかくること、実もなきことなり。位、誉れを望み嘆き、身をたかぶることも、実もなきことなり〟
 そもそも〝Contemptus Mundi〟という書名が「現世を軽蔑する」という意味である。
「ですが、この女人たちは仏門に入ったのであって……」
「つまりエウロウパの修道女みたいなものだろう?」
 バレトは立ち上がり、火鉢の側にかがみ込んで埋み火を起こし始めた。
「上の方のパードレにもし問いただされたら、この段は『コンテンツス・ムンヂ』なんだと言えばいい」
 火箸で炭をつつきながら、バレトが言う。
「あの。私はそこまでしてこの段を入れたいとは」
 バレトがくすりと笑った。
「ホトケの教えが強く出すぎてると思うなら、外してしまえば済む話だ。迷ってたってことは、入れたかったんだよ」
 そうだろうか。自分はそこまで「祇王」に思い入れがあるのか? 自分のことなのにはっきりと分からない。
「その代わり、あの――今様だっけ? 歌は削った方がいいな。仏も昔は、ってやつ。そんな文句を外国人会士が読み上げてたら、ヴィジタドールの顔が引きつるだろうからな」
 バレトがいたずらっぽく笑い、ハビアンも思わず苦笑した。

 その晩、屋敷の中がすっかり寝静まった頃、時刻を告げる鐘が狂ったように打ち鳴らされた。
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by stan-nak | 2013-07-29 00:09 | 小説「海からの風」 | Comments(0)

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