一輪奏

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 暮れも押し迫った十二月の初め、遣欧使節が京都へと出発した。オルガンティノと洞院ヴィセンテが先に都の様子を見に行くため出発し、使節にはヴァリニャーノはもちろん、通辞のジョアン・ロドリゲス、そしてコスメといった面々が同行して行ったため、彼らを送り出すとコレジオはがらんとしてしまった。
「だからと言って別に寂しいなんて言っていませんよ、パードレ」
「そう言うなよ、置いてけぼりのイルマンに顔を見せに来たのにさ」
「そうですか。ようこそござったれ」
「今それ、棒読みで言ったろ」
 印刷機が置かれた部屋への廊下を歩いているのは、バレトとハビアンである。目的の部屋に近づくと、ギッ、ギッと木がきしむ音が聞こえてくる。入るぞ、と声を掛けてハビアンが障子を開けた。
 部屋の鴨居から鴨居へ細い縄が渡され、手拭いでも干すように、縄に紙が何枚も引っ掛けられている。どの紙にも細かい字が印刷されていた。
「紙に触らぬようにお気をつけ下され。インキが乾いておりまらせぬほどに」
 ドラードの声がする。二人は頭を低くして、吊るされた紙の下をくぐって部屋の奥に入った。ドラード以外にも何人もの同宿が作業をしていた。印刷機の長い取っ手を舟を漕ぐようにして引くと、ねじがゆっくりと回転して紙に圧力がかかる。その度に木製の印刷機がきしむ音が響く。12月(デゼンブロ)ともなれば加津佐も冷え込むが、印刷室は人が何人も立ち働いているせいか、寒さを感じなかった。
 バレトの姿を認めるや、ドラードは "Nossa! Quanto tempo!" と明るい声を上げた。
「久しぶり。写本の紙が足りなくなったから分けてもらいに来たんだけど、印刷は順調みたいだな。これならわざわざ写本を作る必要も――」
 そう言いながらバレトは、積み上げてあった印刷済みの紙を一枚手に取り、思わず顔に近づけて凝視した。
「ドラード、これ日本文字か?」
 そう聞かれてドラードは、よくぞ聞いてくれたと言わんばかりの顔になった。
「そうなんです。画学舎の人たちに頼んで、試しに父型を作ってもらったんですよ。手先が器用だし、毎日銅板を彫ったり削ったりしてるんですから、鉄の浮き彫りもできるんじゃないかと思って」
 信徒に配ったり本の挿絵にするため、イエズス会はキリストや聖母マリアを描いた銅版画の大量生産に取り掛かっていた。それを担っていたのが、絵の得意な会士や同宿を集めた画学舎である。
「日本文字の活字は難しいというのは、漢字が難しいということでしょ?なら仮名を多く、漢字を少なくすれば何とかなると思ったんです。信徒に配るにしてもその方が読みやすいでしょうし」
 積まれた紙をハビアンも一枚手に取ってみた。『天にまします我らが御おや 御名をたふとまれたまへ 御代きたりたまへ……』とある。
「パーテル・ノステル(主祷文)か」
「この出来栄えなら十分だよ。縦書きでも同じように組版ができるんだな。やるじゃないか」
 バレトに褒められて、ドラードが白い歯を見せて笑った。
「じゃあ、この調子で『ドチリナ』を日本文字で刷れますね。楽しみにしててください」
 それを聞いてバレトが何か言いたそうな顔になり、どうかしましたか、とドラードが尋ねた。
「いや、写本に『聖人伝』も写す予定でさ。もし『聖人伝』を印刷してしまうなら写す必要はないかと思ったんだけど、『ドチリナ』の後じゃあ当分先だろ?なら手書きで写した方が早いだろうな」
 ちょっと考え込んで、ドラードが口を開いた。
「そうですね……日本文字の印刷がうまく行ったところなので、このまま『ドチリナ』をやってしまいたいんです。せっかく印刷機があるのに手書きの写本を作らせるのは申し訳ないんですが」
「何、気にしなくていいよ。日本文字でも活字印刷ができるなんて画期的じゃないか。パードレ・フロイスを驚かせてやれ」
「はい」
 安心したように、ドラードに笑顔が戻った。

 紙を受け取って部屋を出たバレトとハビアンを、ドラードが呼び止めた。振り返ると、頭を低くしながら廊下に出てきたドラードの手に数枚の紙があった。
「これ、持ってって下さい。画学舎が作った版画です。印刷が間に合わない代わりと言っては何ですが」
 バレトが紙を受け取り、ぱらぱらとめくるのをハビアンも横からのぞき込んだ。十字架上のキリスト、聖母子像などが刷られていた。
「何だか悪いな、気を遣わせてしまったみたいで」
「いえ、いいんです。写本の挿絵にでもしてください」
 バレトが笑顔になった。
「ありがとう。もらうよ」

 廊下を歩きながら、バレトはそれぞれの絵をあらためて見ていた。
「ハビアン、このペトロだけどさ」
 そう言って、バレトが一枚の絵をハビアンに見せた。
「これが何か?」
「これだけ年号が書いてある」
 ハビアンもまじまじと見る。確かにその通りだった。天国の鍵を持って立つ聖ペトロが右足で踏んでいる石に、数字で "1590" と書かれていた。この石に年号を書かなければならない必然性はない。
「これさ。あの印刷機で刷った最初の銅版画なんじゃないかな」
「ああ……だから記念に、年号を」
「そうだと思う」
「それをわざわざくれたんですね」
「うん」
 二人はしばらく、何も言わずに歩いた。
「あいつ、いい奴だなあ」
「ええ。そうですね」
 言いながら吐いた息は白かったが、不思議と体は温かかった。
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by stan-nak | 2013-06-22 13:54 | 小説「海からの風」 | Comments(0)

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