一輪奏

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4 大庭が早馬の事

  高野山にいた宰相入道成頼は、福原での奇怪な出来事の数々を伝え聞き、「厳島大明神は女神だそうだから、八幡大菩薩が節刀を頼朝に与えようとおっしゃったのは納得がいく。しかし春日大明神が『その後は我が子孫にも』とおっしゃったのはどういうことだろうか。平家が滅び、源氏の世も終わった後、藤原氏が将軍になるという意味なのか」と不思議がったのでした。

 治承4年9月2日、相摸国の大庭三郎景親の遣わした早馬が福原へやって来ます。

 景親の使いが言うには、

 「去る8月17日、伊豆に流されていた源頼朝が、舅の北条時政を遣わして、伊豆の目代、和泉判官兼隆(いずみのほうがん かねたか)の山木の館に夜討ちをかけました。その後頼朝は、土肥、土屋、岡崎らとともに石橋山に立てこもったので、私が一千騎あまりを率いて攻め入ったところ、頼朝側は大敗して、7、8騎になり、土肥の杉山へ逃げて行きました。

 その後、畠山が五百騎余りで頼朝勢を攻めました。三浦義明の子らが三百騎余りで源氏方に付き、湯井小坪の浦で戦闘になり、畠山は敗れて武蔵国へ退却しました。

 畠山の一族、河越、稲毛、小山田、江戸、葛西ら七党が三千騎余りを引き連れ、三浦の衣笠の城に押し寄せて戦ったところ、三浦義明は討たれ、子らは栗濱の浦から舟に乗り、安房、上総へ落ち延びていきました」

 とのことでした。

 ◇ ◇ ◇

 最初に登場する「宰相入道成頼」は平治物語に登場していた藤原成頼(光頼・惟方の同母弟)です。承安3年に出家しており、治承4年の時点では46歳。この段落は前の章段に入れたほうがまとまりが良いような気がし、実際覚一本はそうなっているのですが、なぜか流布本はこの1段落をこの章段の頭に持ってきています。

 次の段落からは一転して、関東の情勢が語られます。いわゆる「石橋山の戦い」です。

 早馬を遣わしてきたのは相摸国の大庭三郎景親という、平家方の武将。突然出てきて誰アンタ?という感じですが、平氏に連なる血筋の人です。一つ前の「物怪の事」で、ネズミが馬の尾に巣をつくるという不可解な出来事が起こっていましたが、その馬を送ったのが大庭景親でした。そしてこの段では、その景親の早馬が東国の変事を知らせてきます。奇妙な一致です。

 景親が伝えてきたところによると、平治の乱後に伊豆に流されていた源頼朝が挙兵したというのです。頼朝はこのとき34歳。

 ターゲットになったのは「和泉判官兼隆」なる人物で、本名は平兼隆。これまた平氏の流れをくむ人です。
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by stan-nak | 2013-04-10 15:43 | 平家物語 巻五 | Comments(0)

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