一輪奏

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2 月見の事

 秋が訪れ、福原の人々は名所の月見に出かけていきます。

 そんな中、左大将藤原実定(※)は8月10日過ぎ、旧都へ足を向け、姉の多子の邸を訪ねます。

 供の者に扉を叩かせると、中から女の声で、

 「誰(た)そや、蓬生(よもぎう)の露うち払う人もなき所に」

 との答え。

 「左大将殿のご訪問です」

 と告げると、

 「正面の門は鍵をかけてあります。東の小門よりお入りください」

 と言われ、一行は東の門から邸内へ。

 多子は月を眺めながら琵琶を弾いているところでしたが、弟の実定の姿を認めると琵琶を置き、「夢かや現(うつつ)か。これへ、これへ」と歓迎します。そして多子の側近くには、「待宵の小侍従」(まつよいのこじじゅう)と呼ばれる女官が仕えていました。

 彼女に待宵というニックネームが付いたのは、あるとき多子が

 「待つ宵、帰る朝(あした)、いづれかあはれは優れる」

 と尋ねたときに、

 待つ宵の更け行く鐘の声聞けば 帰る朝の鳥はものかは

 という歌で答えたからです。

 当時の結婚は通い婚といって、夫が妻の家に通ってくる形式でした。妻は夜になると身支度をして夫の訪問を待ち、朝にはまた出仕する夫を見送るのです。その、愛しい男性を待っている宵と見送る朝と、より詩情があるのはどちらかしらという問いに小侍従は、「その人を待っている夜、胸を高鳴らせて待つときに聞く(時刻を告げる)鐘の音に比べれば、翌朝の鳥のさえずりなど物の数にも入りません」と答えたんですね。

 この日、実定は明け方まで待宵の小侍従や多子と話し込み、今様を歌いなどして時を過ごします。

 そして帰り際、実定はお供の蔵人・藤原経尹(ふじわらの つねただ)に、「小侍従があまりに名残惜しく見える。戻って、何か言葉をかけて来なさい」と命じます。

 これを受けて経尹は待宵の小侍従のもとに急いで戻り、「左大将殿からです」と前置きして、

 物かはと君が云ひけん鳥の音の今朝しもなどかかなしかるらん

 と一首の歌を送ります。すると小侍従は、

 待たばこそ更け行く鐘もつらからめ 帰る朝の鳥の音ぞ憂き

 と返歌。

 経尹からこれを伝えられた実定は、「お前を遣わしてよかった」と大いに感心したのでした。そして経尹はこののち、「物かはの蔵人」と呼ばれるようになったのだとか。

※ ふじわらの さねさだ : 藤原公能の長男、多子の弟。


 * * *


 この章段は平家の人が一切登場せず、めずらしく王朝絵巻のような雅な雰囲気になっています。実際、「人々は光源氏のように須磨や明石の月を見に出かけた」という記述があったり、源氏物語の宇治十帖からエピソードの引用があったり、「蓬生」という源氏物語の巻名のひとつにある言葉を台詞に入れていたりと、貴族の文学らしさを作者が意識しているような章です。

 このとき京はもう旧都で、都は福原なのに、実定の従者は「福原より大将殿の御上り候」と言うんですね。まだ彼の中では都は京だというのが表れていて面白いところです。新都のことも、「都」と言わずに「福原」と言ってますしね。

 経尹の歌は「あなたは朝の鳥のさえずりを物の数にも入らないとおっしゃいましたが、今朝のそれは愛しくお思いでしょう」というもの。これに対する待宵の小侍従の返歌は、「恋しい人を待っていればこそ、夜の更けていくのを告げる鐘もつらいのです。思いがけずやってきた人を見送る朝に鳥の声を聞くのは、胸を締め付けられる思いです」くらいの意味です。
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by stan-nak | 2013-04-10 14:19 | 平家物語 巻五 | Comments(0)

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