一輪奏

ichirinso.exblog.jp

ブログ移行中。

4 橋合戦の事

 南都を目指すも、疲れを隠せない高倉の宮。途中の宇治平等院で休息を取ることに。

 そこへ平家の軍勢が追いつきます。率いるは知盛(左兵衛督)、重衡(頭中将)、忠度(薩摩守)。前回登場の「御産の巻の事」では中宮亮だった重衡、昇進したんだねー。

 宇治川を渡って平等院に攻め入ろうとしますが、橋の板が落とされていて渡れません。

 ここから橋上でサーカスのような戦闘を繰り広げる僧兵たち。

 まずは五智院の但馬、平家軍からさんざんに射られつつも「上る矢をばつい潜り、下る矢をば躍り越え、向うて来るをば長刀(なぎなた)で切って落す」

 続いて筒井浄妙明秀(つついのじょうみょう めいしゅう)は片っ端から敵を射殺し、裸足になったかと思うと、「橋の行桁(ゆきげた)を、さらさらと走りける」。その細い行桁の上で太刀を抜き、「蜘蛛手・かく縄・十文字・蜻蛉返り・水車、八方すかさず切ったりけり」

 さらに浄妙坊の後からは一来法師がやってきましたが、狭い行桁は1人が通るのも精一杯。すると一来法師は浄妙坊の甲に手を置き、「『悪しう候、浄妙坊』とて、肩をづんど跳り越えてぞ戦ひける」

 浄妙坊に続けとばかりに次々と行桁を渡る僧兵たち。押され気味になった平家軍の上総守忠清は、梅雨の時期で増水していることもあり、ここは渡れない、別の場所から川を渡って平等院に攻め入ってはと提案。

 そこで前に出てきたのは、下野(栃木)からやってきた足利忠綱(あしかが ただつな)・17歳。「目にかけたる敵を討たずして、宮を南都へ入れ参らせなば、吉野・十津川の勢ども馳せ集まりて、いよいよ御大事でこそ候はんずらめ」と主張します。ではどうやって川を渡るというのか?忠綱が提案したのは馬筏(うまいかだ)。

 「只今ここを渡さずば、長き弓矢の傷なるべし。水に溺れても死なば死ね」

 「坂東武者の習ひ、敵を目にかけ、川を隔てたるいくさに、淵瀬嫌ふやうやある。この川の深さ早さ、利根河に幾程の劣り優りはよもあらじ。続けや殿ばら」

 おいおいカッコ良すぎるだろうそんな台詞!惚れるよ忠綱!

 忠綱の指揮で三百騎あまりが一騎も流されることなく、対岸に渡ることに成功します。

 * * *

 やっぱり合戦の場面はいいですね。躍動感があって。わくわくしますねー!

 一来法師の、「悪しう候、浄妙坊」という台詞がすごく好きです。「失礼!」という感じでしょうか。僧兵面白いです。

 五智院の但馬なんて、飛んでくる矢をバシバシ切っちゃうんで、敵も味方も「おお、すげえなあいつ」と眺めてるんですよ。で、それ以降「矢切の但馬」と呼ばれるようになったらしいです。

 ここでキーとなる「馬筏」ですが、本文を読む限りでは、馬を何頭も並べて、水をせきとめながら渡るというもののようです。ただし、「かねに渡いて押し落とさるるな。水にしなうて渡せや」と忠綱が言っているので、水の流れに対して直角に渡ると水流に負けてしまうらしい。斜めに渡れということでしょうか。

 平家物語で栃木出身の若武者というと那須与一が有名ですが、この足利忠綱もかなりイイな!と思います。この血気盛んなところがティーンエイジらしくて可愛いですよね!与一はもう子供っぽさが抜けちゃってますからね。

 しかし考えてみると、どうみても雑兵の忠綱が侍大将の忠清に意見して、しかもそれが採用されてるんだから面白いです。柔軟だ。

 ちなみに上総守忠清(伊藤忠清)は、屋島の合戦などで活躍する悪七兵衛景清のお父さんです。保元物語でも為朝軍と戦っている古兵(ふるつわもの)。
[PR]
by stan-nak | 2013-04-08 20:49 | 平家物語 巻四 | Comments(0)

ブログ移行中。


by stan-nak