一輪奏

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6 白河殿義朝夜討に寄せらるる事

 さて、こちらは新院と頼長がいる白河殿。

 後白河勢が攻撃してくるとは思っていない悪左府。ところが、「官軍すでに寄せ候」と報告が入ります。

 これを知り、「だ~か~ら~言ったじゃねえかよ!」と憤る為朝。

 頼長は為朝の機嫌を直そうとしたのか、突然為朝に蔵人(くらんど)の位を与えます。が、火に油でした。

 「これは何と云ふことぞ。かたき既に寄せ来たるに、方々の手分けをこそせられんずれ。ただ今の除目、物怱(ぶっそう)なり。人々は何にもなり給へ、為朝は今日の蔵人と呼ばれても何かせん。ただ元の鎮西の八郎にて候はん」

 と怒鳴り散らしつつ、出陣します。

 頼長は頭はいいし教養もあるんですが、やっぱりお公家さんなんですね。武士の考えていることを理解できていません。「いくさは勝たないと何の意味もないもの」、「いくさには死ぬつもりで行くもの」だということがわかっていないのです。それがわかっていれば、為朝には「お前に任せる。お前の思うようにやれ」とさえ言えばいいんです。

 しかし頼長は、為朝の提案を却下して怒らせた挙句、なだめようとして官位をあげるという、思いっきり的外れなことをしてしまう。「官位さえやれば喜ぶだろう」という発想しかできないあたりが、貴族の思考回路なんですね。頼長が知る貴族たちはみんなそうだったのでしょう。でも、為朝は違う。


 源義朝・平清盛軍を迎え撃つため、為義以下四男の頼賢(よりかた)、為朝らが出陣。

 頼賢が守る西の河原の門に、敵兵が攻め寄せてきます。

 「ここを寄するは源氏か平家か。名乗れ、聞かん。かう申すは六條の判官・為義が四男、前(さき)の左衛門尉頼賢」と名乗る頼賢。

 促された相手は、

 「下野守殿の郎等に、瀧口の俊綱、前陣を承って候」

 と名乗ります。義朝ではなく家来クラスだと分かった頼賢は、

 「さては一家の郎等ごさんなれ。汝を射るにあらず、大将軍を射るなり」

 と言って矢を放ち、2騎を射落とします。これを知った義朝は、「やるじゃないか!」と自ら駆け出ようとしますが、鎌田次郎正清(かまたのじろう まさきよ)が慌てて、

 「ここは大将軍の駆けさせ給ふところにて候はず。千騎が百騎、百騎が十騎になってこそ、打ちも出でさせ給はめ」

 と制し、代わりに自分が敵陣へ。

 正清は義朝の乳母子で、平治の乱で義朝が死ぬまで離れずに仕えている人物です。保元・平治物語ともに、「感情的になりがちな義朝を冷静に諭す正清」という関係で描かれる場面が多いです。平たく言うと、ボケの義朝にツッコミの鎌田、というか…(笑)。木曾殿&四郎もそうなんだけど、主君がボケで側近がツッコミっていうパターン、いいですよね(私だけ?)

 一方の清盛軍は二条河原へ。うち50騎が、為朝の固めるところへ攻め寄せます。

 「ここを固め給ふは誰人ぞ、名乗らせ給へ。かう申すは安芸守殿の郎等に伊藤武者景綱、同じき伊藤五、伊藤六」

 との名乗り。これを聞いた為朝は、

 「汝が主の清盛をだに、合はぬ敵と思ふなり。六條の判官為義が八男、鎮西の八郎為朝ぞ。景綱ならば引き退け」

 と発言。「お前の主君さえ、俺の相手じゃねえんだよ。俺を誰だと思ってんだ、源為朝だぞ」というわけです。

 バカにされたと思った伊藤景綱は、

 「同じ郎等ながら、公家にも知られ参らせたる身なり。副将軍の宣旨をかうぶりし景綱ぞかし。下臈(げらふ)の射る矢、立つか立たぬか御覧ぜよ」

 と言い、為朝めがけて矢を放ちます。これに対し為朝は、

 「合はぬ敵と思へども、汝が言葉のやさしさに、矢ひとつ賜ばん、受けてみよ」

 と矢を放つ。その矢が伊藤六郎の胸を貫通して六郎は即死、さらに五郎の鎧を貫いて腕に傷を負わせます。

(※ この場面にちょろっと出てくる「伊藤五」というのが伊藤忠清のことで、2012年のNHK大河ドラマ「平清盛」では藤本隆宏さんが演じていました。)

 これに驚いた景綱は、その矢を持って清盛のもとへ。

 「八郎御曹司の矢、御覧候へ。凡夫の所為とも覚え候はず。六郎すでに死に候ひぬ」

 という景綱に、震え上がる清盛陣営。清盛は、

 「必ず清盛が、この門を承って向うたるにもあらず。何となく押し寄せたるにてこそあれ。いづ方へも寄せよかし。さらば東の門か」

 と早くも退却モード。為朝に「へろへろ」呼ばわりされていた清盛、ほんとにへっぴり腰です。「何となく押し寄せた」って、何じゃそら。そんなことでいいのか、平家の棟梁…!

 清盛の指示で平家軍が撤退しようとしたそのとき、重盛が前に進み出ます。

 「勅命を蒙って罷り向ったる者が、敵陣強(こは)しとて引っ返すやうやあるべき。続けや若者ども」

 と、若い兵を率いて突撃しようとする重盛。慌てた清盛が、

 「あるべうもなし、あれ制せよ者ども。為朝が弓勢(ゆんぜい)は目に見えたることぞ。過ちすな」

 と重盛を思いとどまらせます。 ここが「保元物語」での重盛の初出番。このとき19歳ですよ!満年齢なら18歳!若い!若い!逃げようとする父・清盛に怒って敵陣に突っ込もうとするなんて、なんて青臭くて微笑ましいんだ!「平家物語」でのやたら老成した抹香臭い&説教臭いオジサンとは大違いじゃないですか!こっちのほうが遥かにイイですよ!保元重盛かわいすぎ!

 重盛はしぶしぶ退却させられますが、清盛の家来の一人・山田小三郎伊行(やまだのこさぶろう これゆき)が従者を一人だけ連れて為朝に挑みます。

 「山田小三郎伊行、合戦の場にも度々に及んで、高名仕ったる者ぞかし。承り及ぶ八郎御曹司を、ひと目見奉らばや」

 と名乗りを上げたのが、為朝の耳に届きます。

 「一定きやつは引き設けてぞ云ふらん。一の矢をば射させんず。二の矢を番(つが)はん所を射落とさんず。同じくは矢のたまらんところを、わが弓勢を敵に見せん」

 「奴は既に弓を引き絞って、俺が出てくるのを待っているんだろう。ならばその矢は射させておいて、二の矢を番えるところを射落としてやろうじゃないか」と考え、

 「鎮西の八郎これにあり」

 と名乗りを上げて敵の前へ。案の定、待ち構えていた山田は矢を放ちますが、為朝の鎧の草擦(くさずり : 腿を覆うパーツ)をかすめただけ。続けて二の矢を番えようとするところへ、為朝はすかさず矢を放ちます。

 その矢は山田が乗った鞍の前輪(まえわ)から尻輪(しりわ)までを貫き、山田はまっさかさまに落馬。その拍子に矢が折れ、矢じりだけが尻輪に残ったのでした。

 「前輪」「尻輪」とは何かといいますと、馬の鞍の前後の高くなった部分の事です。

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 ↑かなり単純ですが、鞍はこんな形だと思ってください。人が乗る部分がくぼみ、その前後が高くなっており、くぼんだところを「鞍壷」(くらつぼ)、高くなった部分を「輪」といいます。

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 ↑座った状態。前の輪が前輪、後ろの輪が尻輪です。

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 だから、「前輪から尻輪まで貫いた」というのは下の図↓のような状態でしょう。真正面からだと矢が鞍ではなく馬の首に刺さってしまいますから、角度がついていたと思われます。
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by stan-nak | 2013-03-22 15:50 | 保元物語 | Comments(0)

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