一輪奏

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平経盛

恋しとよ去年(こぞ)の今宵の夜もすがら契りし人の思い出られて

 1124年生まれ。平忠盛の三男。兄に清盛、家盛、弟に教盛、頼盛、忠度。子に経正、経兼、広盛、経俊、経光(養子)、敦盛(「平家物語」で確認できるのは経正、経俊、敦盛のみ)。壇ノ浦で碇を背負って入水。享年62歳。最終官位は参議正三位皇太后宮権大夫兼修理大夫加賀越中守(長い)、通称「修理大夫」(しゅりのだいぶ[※])。


経盛と兄弟たち
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経盛の子供たち
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 経盛は出番もほとんどなく、台詞もなく、和歌がひとつ紹介されるだけ。どこまでも地味な人で、人物像が掴みにくいのですが、敦盛の笛「小枝」は忠盛→経盛→敦盛と継承されているところをみると笛が上手だったことが分かります。経正も琵琶の名手なので、音楽に秀でた家系なのでしょう。 経盛は歌人でもあり、武芸よりは風雅の道が得意という文化部タイプ(大河ドラマ「平清盛」でもそういう描かれ方でした)。

 和歌つながりで源頼政と交流があったことが、説話集「十訓抄」から知られます。

 壇ノ浦では教盛と手を取り合って入水しています。清盛・忠度が既に他界し、頼盛は一門を離れていて兄弟は2人きりになっていたので、最期を共にすることは自然な帰結だったのかもしれません。

 冒頭の歌は、平家一門が都を追われて九州で九月十三夜の月を眺めたときの歌です。それにしては歌に月が詠まれていませんが(笑)、このときは弟の忠度と息子の経正の3人で歌を詠んでいて、忠度が「月を見し去年の今宵の友のみや都に我を思ひ出づらん」と読んだのを受けての作歌なのでこういう歌になっているのです。「契りし人」とは言うまでもなく女性のことで、このとき60歳にしてはなかなか色っぽい歌ではないかと思います。

 ※ 敦盛は「たいふ」ですが経盛は「だいぶ」。同じ「大夫」でも読み方が違います。五位を意味する場合は「たいふ」、修理職(しゅりしき)や中宮職(ちゅうぐうしき)など「職」(しき)のつく部署のトップは「だいぶ」と読むのです。左京職・右京職という部署もあったので、平家の人々の回想録を残したことで知られる建礼門院右京大夫は「けんれいもんいんのうきょうのだいぶ」と読みます(長い…)。
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by stan-nak | 2013-03-12 22:41 | 人物考―平家 | Comments(0)

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