一輪奏

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平成盛

たいらの なりもり: 1168年(仁安3年)生まれ。平教盛の四男。兄に通盛、教経、仲快。姉妹に藤原成経の妻、教子(能子とも)など。最終官位は従五位下蔵人、通称「蔵人大夫(くらんどのたいふ)」。一の谷の合戦で討ち死に、享年17歳。

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 「なり」の漢字は「尊卑分脈」と「源平盛衰記」が「業」を使っているのですが、覚一本と流布本が「成」なので当サイトでは後者を採用しています。

 「平家物語」では出番が少なく、一の谷の合戦で討たれたということがわずか一文で記されています。

門脇中納言教盛卿の末子、蔵人大夫成盛は、常陸国の住人土屋五郎重行に組んで討たれ給ひぬ。


 これだけだと人となりが全くつかめないのですが、鎌倉時代の成立とされる「源平盛衰記」はそのときの様子を詳しく記しています。

蔵人大夫業盛は今年十七になり給ふ。長絹の直垂に、ところどころ菊綴して、緋威(ひをどし)の鎧に、連銭葦毛の馬に乗り給へり。御方には離れぬ、いづちへ如何に行くべきとも知り給はざりければ、渚に立ちておはしましけるを、常陸国の住人、泥屋四郎吉安と組んで落ち、上になり下になり転びける程に、古井の中へ転び入りて、泥屋は下になる。兄を討たせじとて、泥屋五郎落ち重なつて、大夫の甲(かぶと)のしころに取り付きて、引かん引かんとしければ、大夫、頭を強く振り給ふに、甲の緒を振り切る。五郎、甲を持ちながら、二尋ばかりぞ投げうたれたる。されども手負はざりければ、起き上がりて業盛の頭を取る。兄をば井より引き立てたり。十七歳の心に、よく力の強くおはしけるにやと、人皆これを惜しみけり。


 味方からはぐれて波打ち際に出たところで泥屋四郎吉安と組み討ちになり、泥屋を組み敷いたところで弟の泥屋五郎が駆けつけ、成盛の首を取ったということです。兜のしころを五郎に引っ張られた成盛、力いっぱい頭を振ったら兜の緒が切れ、五郎を約3メートル投げ飛ばしてしまいました。17歳ながら怪力!?

 長兄・通盛の侍童、菊王丸と同い年です。菊王も「大力の剛の者」なので、一緒に武芸に励んでいたりして…と想像。末っ子だし、教盛父上や兄上たちに可愛がられていたに違いない!
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by stan-nak | 2013-03-12 11:54 | 人物考―平家 | Comments(0)

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