一輪奏

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平通盛

 「通盛いかになるとも、汝は命を捨つべからず。いかにもして存(ながら)へて、御行方をも尋ね参らせよ」

 平清盛の弟・教盛の長男。弟に教経、仲快(ちゅうかい)、成盛(なりもり、業盛とも表記)、姉妹に藤原成経の妻、教子(能子とも)など。妻は小宰相、侍童に菊王丸(1168~1185)。
 1184年、一の谷の合戦で討死。享年30歳(満29歳)。
 最終位階は従三位下越前守、通称「越前の三位」。

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 * * *

 「広辞苑」には父の教盛も弟の教経も載っており、能の演目としての「通盛」も見出し語として載っていて、「平通盛と小宰相局の愛、通盛の戦死と局の投身を脚色する」という説明がされているのに、当の通盛も小宰相も見出し語になっていないという不可解さ。通盛ってそんなに地味かなあ…。小宰相とのエピソードは「平家物語」でも屈指の泣き所だと思うんですが。「広辞苑」の基準が謎です。ついでに言うと平経正も広辞苑には載っていないんですが、能の「経正」は載っています。どういうことなのか。

 倶利伽羅峠の合戦では維盛とともに総大将を務めますが大敗。武将タイプではないようですね。小宰相に送っている文の雅さや、和歌で上西門院(小宰相の上司)を感心させているところからも、おっとりした宮廷人という感じがします。いくさバカの教経とは対照的(笑)。

 冒頭に挙げた台詞は、通盛が討たれる直前に見田滝口時員(けんだのたきぐち ときかず)に言ったもの。時員は通盛とともに討ち死にしようとしたのですが、通盛はそれを制して、「お前は死んではだめだ。何としても生き延びて、妻に私のことを知らせなさい」と言います。武士の美学からすれば、部下は主君と運命を共にするものなのに、通盛はそんなことはどうでもいいから小宰相に自分の安否を知らせたかったんですね。戦場でも最後まで小宰相を心配していた、通盛の妻への思いがよく表れている一言だと思います。
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by stan-nak | 2013-03-12 11:51 | 人物考―平家 | Comments(0)

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