一輪奏

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マクベス Macbeth

Ver. 福田恒存訳(新潮文庫)

 舞台は11世紀のスコットランド。「王になる」と魔女から予言された武将マクベスは、ダンカン王を殺害して予言どおり王位を手にする。しかし心は穏やかでなく…

 ダンカン殺害を夫マクベスにけしかけた妻もまた良心の呵責にさいなまれ、夜な夜な起き出しては狂ったように手を洗います。その時の台詞「消えろ、呪わしい染み!(Out, damned spot!)」、「どうしてきれいにならないの、この手は?(What, will these hands ne'er be clean?)」(いずれも第5幕第1場)は前半の彼女の強気な言動とはがらりと変わっており、野心の為に良心を捨てたつもりでも、人は完全に悪人になってしまうことはできないということを感じされられます。

 マクベスもまた自分のしたことをひどく後悔し、バンクォーの幽霊に悩まされたりもします。そんなに後悔するなら殺さなければよかったのにと思ってしまいますが、もちろんマクベスだって王を殺すなど普段は思ってもみなかったでしょう。それでも「王になれたらいいだろうなぁ」という幻想に近い野心はあり、その思いにブレーキをかけていたのが「それを実現する為には王を殺さねばならないが、そんなことはしてはならないし、第一そんな度胸は自分にはない」という彼の心の「善」の部分でした。そして、その「善」を麻痺させたのが魔女の予言と妻の言葉。

 そして、心の中の「悪」の部分に身を委ねて凶行に及んだものの、その後再び「善」の部分がよみがえってマクベスを苦しめます。例えるならマクベスの心の中の「善」と「悪」の割合は普段は51対49で「善」が「悪」を抑え込んでいますが、どこの誰か分からない魔女の予言などという些細なきっかけで49対51となり「悪」が逆転、そして凶行から時間が経つと再び「善」が優勢。

 このように、善人に見える人でもその中身は「善」が「悪」をぎりぎりのところで抑えつけているだけであって、その優劣はちょっとしたことで簡単に逆転されうる。人の心の中の「善」と「悪」の均衡なんてその程度のものだ、ということでしょう。(2005年2月13日)
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by stan-nak | 2013-03-09 16:27 | シェイクスピア | Comments(0)

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