一輪奏

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その他の人々:平家

 【平家 : 男性】

 ◇は高望王流、◆は高棟王流です。 (どちらも桓武平氏ですが、忠盛や清盛を出しているのが高望王流。時忠、時子、建春門院らを出しているのが高棟王流。前者は武家ですが後者は官僚というか、事務屋さんです)

 ◇平家貞 (たいらの いえさだ) 1084~1167
 もともと平家一門でしたが郎等となり、忠盛、清盛に仕えて保元・平治の乱を戦いました。
 NHK大河「新・平家物語」ではすごいお爺さんで、「老練なつわもの」のイメージがあります。「平家」巻一「殿上闇討」での忠盛への忠誠心が印象的。単なる主従関係を超えた信頼関係があったようです。2012年のNHK大河ドラマ「平清盛」では中村梅雀さんが演じていました。
 「平家物語」によれば父は平家房、祖父は平貞光なのですが、「尊卑分脈」によれば家貞の父は範季、祖父は貞季となっており、忠盛とはまたいとこの関係になります。

 ◇平貞能 (たいらの さだよし) 生没年不明
 家貞の子。はじめ筑後守、のち肥前守。清盛、重盛に側近く仕えていましたが都落ちには同行せず、重盛の遺骨を掘り返して行方をくらまします。大河ドラマ「平清盛」では田口浩正さんが演じていました。

 ◇平兼隆 (たいらの かねたか) ?~1180
 巻五「大庭が早馬の事」に名前だけ登場する平家の武将。伊豆の国の目代を務めていましたが、治承4年(1180年)、頼朝の挙兵により山木(屋牧)の館で夜討ちに遭い、殺されました。

 ◇平宗清 (たいらの むねきよ) 生没年不明
 平頼盛に仕えた武士。「尊卑分脈」によれば右兵衛尉で、平貞能とは従兄弟の関係に当たります。通称「弥平兵衛(やへいびょうえ)宗清」。平治の乱後に拘束された源頼朝の世話役を務め、頼朝の助命を池の禅尼に願い出ます。宗清が頼朝助命を言い出した最初の人物であることから、頼朝は後々まで宗清に恩を感じていました。
 大河ドラマ「平清盛」では梶原善さんが演じていました。

 ◆平時信(たいらの ときのぶ) 生没年不明
 息子に時忠、親宗。娘に時子(二位尼)、滋子(建春門院)、建春門院帥。最終官位は正五位下兵部権大輔とぱっとしませんが、死後に正一位左大臣を贈られています。どうみても平家の権勢のおかげ。
 大河ドラマ「平清盛」では蛭子能収さんが情けない感じで演じていました。

 ◆平時忠 (たいらの ときただ) 1128~1189
 平時信の息子。時子(二位尼)は同母姉。最終官位は正二位権大納言、通称「平(へい)大納言」。かの有名な「平家でなければ人でない」(この一門にあらざらん者はことごとく人非人たるべし)はこの人の台詞。壇ノ浦では生き残って源氏に捕らえられ、能登に流されて配所で没。娘を義経の側室に差し出しました。
 壇ノ浦では源氏軍に抵抗する様子もなく、あっけなく捕まっちゃってます(もともと文官なので、武芸はできなかったと思われます)。「この一門に~」もそうなんですが、屋島にやってきた後白河院の使いの顔に焼印を押したり、鼻の大きな人に「鼻豊後」と名づけてみたり、悪ふざけのスピリットだけは人一倍。そのくせ役立たず。輔子が拘束されたときにも「八咫鏡(やたのかがみ)は見ちゃいかんよ~」って源氏の兵に注意してるだけですし。そんなこと言ってる場合か!輔子の心配しろよ!
 大河ドラマ「新・平家物語」では山崎努演じる時忠が清盛の側近のような役割で、意外にも存在感を発揮していました。また「平清盛」では森田剛さんが演じ、身も蓋もない俗物キャラになっていましたが、この森田時忠は私はかなり好きでした。「平清盛」の中でも、造形が成功していたキャラクターの一人だと思います。

 ◆平親宗 (たいらの ちかむね) 1144~1199
 父は平時信。母は美福門院女房、少将の局。兄に時忠、姉に時子、滋子。

 【平家 : 女性】

 ◆建春門院帥 (けんしゅんもんいんのそつ) ?~1185
 父は平時信。時子・滋子の妹です。「平家物語」には登場しませんが、「尊卑分脈」によれば壇ノ浦の合戦で入水したとのこと。姉の入水を見て「私も一緒にいかないと」と思ったのかもしれませんね。

 ◆建春門院新中納言 (けんしゅんもんいんのしんちゅうなごん) ?~1184
 父は平親宗。時信の孫。彼女も「平家物語」には登場しませんが、「尊卑分脈」によれば維盛の側室で、元暦元年に維盛の訃報を知って自殺したそうです。維盛は正室(藤原成親女)とのおしどり夫婦のイメージが強いので、側室はいないのかと思っていました。意外。

 ◆平滋子 (たいらの しげこ) 1142~1176
 父は平時信、母は藤原顕頼女。藤原(葉室)光頼は伯父にあたります。時子(二位尼)、時忠は異母兄&姉。
 もともと「小弁」という女房名で上西門院に仕えていたのですが、後白河院の目に留まって寵愛を受け、憲仁親王(のちの高倉天皇)を産みました。院号「建春門院」。
 平家から初めて出た国母にして、清盛と後白河院の仲を取り持っていた重要人物ですが、平家物語にはびっくりするくらい登場しません。
 大河ドラマ「平清盛」では成海璃子さんが演じていました。

 ◇平盛子 (たいらの もりこ) 1156~1179
 父は平清盛。母は「尊卑分脈」には書かれていませんが、重衡と同い年なので少なくとも時子ではありません。准国母、従三位。通称「白河殿」。高倉天皇を、生母の建春門院(平滋子)に代わって養育していました。
 摂関家の長男である藤原基実に嫁ぎますが、基実は24歳の若さで他界。このとき盛子は11歳(どんな夫婦だよ…)。家の字の「盛」をしっかりもらっているあたり、清盛のお気に入りだったんでしょうか。(もしくは基実に嫁がせる際に、「天下の摂関家に妾の子をよこすのか」と言われた、もしくは言われるかと思ったので「そうじゃない、一番大切な娘をくれてやるんだ」という意味で「盛」とつけたのか。)
 彼女も体が弱かったのか、若くして世を去っています。享年は奇しくも夫と同じ、24歳。平家の滅亡を見ずに済んだという意味では良かったのかな。

 ◇臈の御方 (ろうのおんかた) 生没年不明
 父は平清盛、母は常葉。義経は父親違いの兄。「臈」は「廊」とも。平家物語によれば「花山の院殿の上臈女房」。花山院というと藤原忠雅?と思ったら「尊卑分脈」には「花山院左大臣家」とあったので子の兼雅でした。
 清盛の娘だけど、義経と兄妹…って複雑。でも壇ノ浦まで平家と行動をともにしていたんですよね、この人。

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by stan-nak | 2013-03-09 15:10 | 人物考―平家 | Comments(0)

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