一輪奏

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2 西光が斬られの事

 鹿ケ谷の陰謀に加わり、主犯格の成親から「大将に頼む」と言われていた多田蔵人行綱ですが、平家の繁栄する様を見るにつけ、平家転覆などできるわけがないとの思いが強くなってきます。ついには、「もしこのはかりごとが他の誰かの口から洩れれば、俺はただではすまない。そうなる前に自分の口から」と決心。

 そして5月29日の夜、行綱はひそかに清盛の西八条邸を訪問。取次ぎに、

「多田行綱、申し上げることがあって参りました」
 と伝えさせます。清盛はこれを聞いて、
「普段来ない者がこんな時間にやってくるとは何事だ。用件を聞いてこい」
 と主馬判官(しゅめのほうがん)盛国(もりくに)を遣わします。しかし行綱は、
「人づてに言えることではありません」
 と、清盛との直接の面会を求めます。ならばというので、自ら出てくる清盛。
「こんな夜更けにどうした」
 と訝る清盛に行綱は、
「昼は人目が多うございますので、日暮れてから伺いました。このごろ、院のほうで軍勢を集め、武具をととのえているのをなんとお聞きですか」
 と切り出します。清盛はこともなげに、
「法皇が比叡山を攻撃なさる準備だろう」
と答えます。これを聞いた行綱は清盛の側近くに寄り、声をひそめ、
「そうではありません。標的は平家ご一門と聞いております」
 と告げます。驚いた清盛が、
「それは法皇もご存知か」
 と問うと行綱は、
「ご存知でないはずがありません。成親の卿が兵を集めておいでなのも、その旨の院宣があったからです。ほかにも俊寛はこんなことを言い、康頼はこんなことを言い、西光はこんな風に」
 と実際以上に言い立てます。言ってしまうと、「では私はこれで」とすたこら退出。清盛は大声で人を呼び、大至急武士たちを呼び集めます。一方の行綱は、
「なまじひなること申し出でて、証人にや引かれんずらんと恐ろしさに、大野に火を放ちたる心地して、人も追はぬに取袴(とりばかま)して、急ぎ門外へぞ逃げ出ける」

 清盛の緊急招集に、宗盛・知盛・重衡・行盛ら幹部クラスが西八条に集結。

 翌6月1日の朝。清盛の使いから「西八条にお立ち寄りください、ご相談したい事がございますので」と聞いた大納言藤原成親は、謀議が露見したとは夢にも思わず「法皇が比叡山を攻撃なさるのをお止めしようというんだろう。法皇のお怒りは並々でないのだから、無理だろうに」と思いつつ、普段よりも華やかに着飾って清盛の邸へ。しかし到着してみると武装した兵が立ち並び、物々しい雰囲気。門の中へ入るとその兵たちがすかさず成親を取り押さえ、屋内にいる清盛に「縛り上げますか!」と問います。必要ない、との答えに兵士らは成親を一室に拘禁。

 俊寛や康頼も捕らえられたと聞いた西光法師は、謀議が洩れたと知って急ぎ後白河のもとへ馬を駆りますが、途中で清盛の兵に出くわしてしまいます。「入道殿がお呼びである、同行願いたい!」という兵に西光が「法皇に奏上することがある、そちらへはあとで」と返すと、「憎い坊主が、何を奏上するというのだ!」と馬から引きずりおろし、縛り上げて西八条に連行。

 西八條の中庭に引きずり出された西光。それを待ち受けた清盛は西光を「しばしにらまへ」

 「あな憎や、当家かたぶけうとする謀叛の奴がなれる姿よ。しやつ此処へ引き寄せよ」

 と命じ、その顔を「むずむずと」踏みつけます。

 「もとよりおのれらが様なる下臈(げらふ)の果てを君の召し使はせ給ひて、なさるまじき官職をなし賜び、父子ともに過分の振る舞ひをすると見しに合はせて、あやまたぬ天台座主流罪に申し行ひ、あまつさへ当家かたぶけうとする謀反の輩(ともがら)に与してげるなり。ありのままに申せ」

 と詰問。

 すると西光は否認するどころか、「もとより勝れたる大剛の者なりければ、ちとも色も変ぜず、悪びれたる気色もなく、居直り、あざ笑って」

 「院中に近う召し使はるる身なれば、執事の別当成親の卿の軍兵催され候ふ事にも、くみせずとは申すべき様なし。それはくみしたり

 と言い放ちます。さらに続けて、

 「ただし、耳に当たる事をも宣ふ物かな。他人の前は知らず、西光が聞かんずる所にては、さやうの事をば、えこそのたまふまじけれ。そもそも御辺は故刑部卿忠盛の嫡子にておはせしが、十四五までは出仕もし給はず、故中の御門の藤中納言家成の卿の辺に立ち入り給ひしをば、京童は例の高平太とこそ言ひしか。しかるを保延の頃、海賊の張本三十余人、搦め進ぜられたりし勧賞(けんじょう)に四品(しほん)して、四位の兵衛佐と申ししをだに、人みな過分とこそ申し合はれしか。殿上の交(まじはり)をだに嫌はれし人の子孫にて、いま太政大臣までなりあがったるや過分なるらん。もとより侍ほどの者の、受領・検非違使に至る事、先例法例なきにしもあらず。なじかは過分なるべき」

 と大演説をぶちます。

 これは聞き捨てならぬことを仰せになる。この西光の前でよくまあそんなことを口走れたものです。あなたは四位に叙せられたときでさえ、過分だと誰もが言い合ったものだ。しかもお父上は宮廷での交際も嫌がられたお方、そんな人の子が太政大臣になったことのほうがよっぽど過分ではないか――という歯に衣着せぬ非難。

 清盛は余りの怒りに、「しばしは物をも宣はず」。ようやく口を開き、
 「しやつが首、左右なう斬るな。よくよく糺問(きゅうもん)して事の仔細を尋ね問ひ、その後河原へ引き出して首を刎ねよ」
 と命令します。

 その命を受けた松浦太郎重俊(まつらのたろう しげとし)が西光を拷問して白状4、5枚分の供述を引き出し、最後には口を切り裂いた上で斬殺したのでした。

 * * *


 行綱の密告でいとも簡単に謀議が露見してしまうチーム鹿ケ谷。密告するや、「大変なこと言っちゃった~!」と「人も追はぬに取袴して」あたふたと逃げてしまう行綱がカッコ悪くて滑稽です。

 その密告のおかげで藤原成親、康頼、俊寛などメンバーが次々と捕縛され、中でもまず西光が血祭りにあげられます。

 捕らえられた西光の顔を清盛は踏みつけるのですが、その形容が「むずむずとぞ踏まれける」。ただ踏んでるんじゃないんですよ。それはもう足の裏をぐりぐりと押し付けているのです!
 いやん清盛ってばドSー♡

 そこまでされてもひるむどころか居直ってしまう西光の度胸はあっぱれ。「それはくみしたり」という言い方に面の皮の厚さを感じますね。西光の無遠慮な非難に、わなわなと震えて口も利けなくなってしまった清盛、真っ赤な顔になっているのが見えるようです。

 原文の「あざ笑う」は今の感覚だと「せせら笑う」とか「鼻で笑う」というのに近いイメージなのですが、「広辞苑」を引いてみると、平安末期に書かれた「大鏡」にこれを「大笑いする」という意味で使っている例があります。そちらだとすれば、清盛の罵倒に対して西光は「あっはっはっは」と笑ったということになり、それはそれで面白い。

 ところで、白状というのは被疑者の自白を書き取った書面、今で言う供述書のことなんですね。「白状する」という言い方は今でもしますが、白状という名詞があったとは知りませんでした。
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by stan-nak | 2013-03-06 22:46 | 平家物語 巻二 | Comments(0)

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