「一輪奏」ご案内 / About

 ご訪問ありがとうございます。

 当ブログ「一輪奏」(いちりんそう)は、平家物語やその周辺の作品について解説したり突っ込みを入れたり想像を膨らませたりしながら好き勝手に語る、平家ファンのブログです。ちょっとだけ創作もやってます。

 歴史的事実についての記載はできるだけ調べたうえで書いていますが、まだまだ勉強不足の点も多いため、間違っている点もあるかと思います。学術的な調べ物・探し物のお役には立てない可能性が高いですが、その点はどうぞご容赦ください。 Natsu拝

 コメントは承認制です。スパムと思われるコメントは管理人判断で削除しております。メールでのご連絡は、stan-nak※excite.co.jp にお願いいたします(※をアットマークに変えてください)。

 旧サイト開設日:2001年10月16日
 当初はジオシティーズでしたが、その後FC2に引っ越し、2013年3月にブログ化しました。

Thank you for visiting my blog.
This blog is about:
-Tale of the Heike (Heike monogatari)
-Tale of Hogen (Hogen monogatari)
-Tale of Heiji (Heiji monogatari)
-Amakusaban Heike monogatari (a colloquial version of Tale of the Heike, published in Amakusa, Japan by Society of Jesus in 1592) and its author, a Jesuit brother Fucan (or Fucansai) Fabian* (1565-1621).

*Also known as Fukan Habian or Fukansai Habian.

Blogger: Natsu
Twitter account: @Heike_gatari
E-mail address: stan-nak[]excite.co.jp (Please replace [] with an at sign. E-mail messages in English are accepted, but simple English would be appreciated.)


web拍手 by FC2
[PR]
# by stan-nak | 2019-12-31 23:59 | ご案内 | Comments(0)

 小説「海からの風 ハビアン平家物語異聞」の続編として、「ハビアン逍遥」(仮)を当ブログで連載中です。

 始まりは1586年(天正13年)の大坂から。ハビアンは21歳です。

 前作で描いていない期間を綴っていけたらと思っております。

[PR]
# by stan-nak | 2018-12-31 00:00 | 小説「ハビアン逍遥」(仮) | Comments(0)

ハビアン逍遥(仮)57

「以前、叔母に見せてもろうたことがござる。キリシタンの寺では、このような植字(うえじ)の書物を刷っていると。私が見たのはもっと仮名が多く、漢字は少ないようでござったが……漢字の植字をこしらえたということでござるか」
「はい。職人が長崎におりまらするほどに」
 ほう、と秀賢が言い、身を乗り出した。
「字は何でお作りに?」
「鉛でござる。鉛を溶かいて、字の型に入れて……近ごろでは木を彫ったものも使うていると聞きまらするが」
 五年ほど前から、印刷はキリシタンの後藤宗印が担うようになっていた。そういえば、ドラードは木の活字には乗り気でなかったとハビアンは思い出した。秀賢が少し考え込み、口を開いた。
「木か……朝鮮の植字も、銅(あかがね)のほかに木も使うていると聞きまらするが、彫る手間がかかりまらしょうず。鉛や銅なればこそ、鋳型さえ作れば同じ字をいくらでも鋳らりょうに、木の植字は一つ一つ彫らいでは」
「おしゃる通りでござる。その上、木は鉛の植字よりも早うすり減りまらする。それゆえ、よう使う字ほど」
「早う減って短うなる」
 ハビアンが言い終わるのを待たずに秀賢が答えを出し、さらに続ける。
「すると版面は平らにならず、刷り上がりが一様の濃さにならぬ」
「げに、その分でござる。……植字にご関心がおありでござるか」
「いや、まあ……ちっと、人から尋ねられまらしての。朝鮮の植字と同じように書物を刷れまいかと。やはり銅か鉛か、いずれにしても木は向きまらせぬげな。一枚板の版木ならば減り方も一様なれども」
 秀賢の言葉は、終わりの方はほとんど独り言のようなつぶやきになっていた。
「よいことを聞きまらした。覚えておきまらしょうず」
「いえ、このようなことでお役に立つなら、いくらでも」
 植字と言えば――と、秀賢が思い出したような顔でくすりと笑った。
「キリシタンの植字は、鋼(はがね)ででも作るのかと言うた御仁がござっての。鋼が植字に向くはずがござるまい。一体、何をどう考えたらそのような言(げん)が出てくるのやら。いやはや、開いた口が塞がらぬとはあのことでござった」
 思いがけない話に、ハビアンも失笑を漏らした。活字の材料が鋼だなど、戯れ言にもならない。
「鋼では硬すぎまらする。万に一つ作れても、鋳直いて別の字にすることも叶いまらせぬほどに、高うついて仕方がござない」
「墨を付けて押したら、紙を突き破るのでは」
「高い鳥の子紙も穴だらけになりまらしょうずる。『版に刻む』どころか、紙を切り刻んでしまうことになりまらする」
 気が付くと、二人とも相好を崩して笑っていた。

[PR]
# by stan-nak | 2018-05-13 21:26 | 小説「ハビアン逍遥」(仮) | Comments(0)

ハビアン逍遥(仮)56

 活字になった「妙貞問答」は、何度か手直しを経ながら京と長崎を行き来した。和綴じの書物として糸が通されたころには、京のそこここで藤の花が咲き、ツバメが忙しそうに飛び回るようになっていた。
〝清原の文庫(ふみくら)に収めまらしょうず〟
 執筆にあたってマリアと交わした約束を、ようやく果たせる。上中下巻の三冊から成る書を風呂敷に包み、ハビアンは清原邸に足を向けた。
 「妙貞問答」を受け取った秀賢は、両の眉を持ち上げ、初対面の人間を見るような目をして、三冊の書とハビアンの顔を交互に見比べた。その理由が分からず、ハビアンも怪訝な顔になる。
「あの、何か」
「いえ、何もござない。失礼」
 秀賢は取り繕うように視線を外し、あらためて上巻を手に取った。ぱらぱらと目を通し、続いて中巻の「神道の事」で手を止めた。清原家の書物がどう使われたか確かめるように、文字の列を目で追っていく。次の下巻はざっと目を滑らせただけだったが、末尾の「不干斎巴鼻庵」という署名に、秀賢がわずかに目を留めたように見えた。下巻を閉じると、秀賢は三冊をぴたりとそろえて重ねた。
「のちほど、ゆっくりと拝読いたしまらしょうず。ご労作をわざわざお持ち下さり、ありがとう存じまらする」
「いえ、こちらのお家には便宜を図っていただきまらしたほどに。本をお納めするくらいしかお礼ができず、お恥ずかしいことでござる」
 落ち着いた風を装いつつ、ハビアンは秀賢の表情をうかがっていた。清原家から借りた神道の書が参照されているのに、書き上がった本の中で、神道は救いがないと一蹴されているのだ。小心者の自分が顔を出し、ハビアンは思わず口を開いた。
「……あの、その中で仏法や神道を斥(しりぞ)けてござれども、それは」
「構いまらせぬ」
 ハビアンの言葉はすぐに遮られた。
「要するに、これは宗論の書でござろうずる。であれば、信奉せぬ宗門を破しているのは別段珍しゅうもないかと。いずれにせよ、これはハビアン殿が知恵を出いて、考えを練って、幾年もかけて仕上げたのは確かでござるによって、そのことだけで十分に価(あたい)があると存じまらする」
「……恐縮でござる」
 秀賢は、内容を褒めはしなかった。キリシタンでない秀賢にとって、承服しかねる記述がないはずはない。しかし、一部の書をものしたこと自体を評価したのは、学問で身を立てている秀賢らしかった。
 ところで、と秀賢が言い、再び上巻を手に取った。
「これは植字版(うえじばん)でござるか」
「……さようでござるが」

[PR]
# by stan-nak | 2018-05-13 21:25 | 小説「ハビアン逍遥」(仮) | Comments(0)

ハビアン逍遥(仮)55

〝然れば、あふひで空を見たまへ〟
 夜に机に向かっていたとき、ハビアンは疲れると庭先に出て空を仰ぎ見た。
〝船よりもなほ独りはめぐり難き諸天の逆行・順行を以て、見へ給はずともそれを司り給ふ主はましまさでかなはぬといふこと、明らかに侍るべし〟
 不動の地球の周りを、主の配された星々が巡る。日が駆けてゆく太陽天、恒星を宿す恒星天。季節の移り変わりに合わせて、星々も位置を変えていく。雲や風は気まぐれだが、夜空に見える星がいきなり変わったりはしない。あめ、つち、ほし、そら。ハビアンは星空に魅かれていた。おのれの限られた視界にはとても収まりきらない無数の星を仰ぎ、ただ一人の設計者が作り上げた世界の広大さを思った。その中に、かくも小さく、かくも未熟なおのれに命を与えている恩寵(ガラサ)の深さを思った。
 そして、どうしても入れたい一節があった。
〝これは仏の説き置かるれば信ぜでかなはず、祖師の言句なれば真(まこと)なるべしなどと思ひて理を極めざるは、昔々かたぎの鈍(どん)なことにて侍る〟
 主の教え、聖人の言葉だからと、疑いもせず頭から信じるのが正しい態度だとは、ハビアンにはどうしても思えなかった。

——烹仏煆祖(ほうぶつかそ)の鉗鎚(けんつい)を秉(と)つて、衲僧向上の巴鼻を頌出(じゅしゅつ)す。

——考えてみよ、恵春(えしゅん)。「自灯明」と言うほどにの。

 人にはみな、ものを考えるための智恵が備わっている。教えの根拠ではなく権威を理由に真とするのは、自分の頭で何も考えていないということだ。
〝たとへば闇路を行かんに、わが持ちたる松明(たいまつ)の火を振り立てては歩まずして、それをば打ち置き、五町も十町も先に行きたる人の火の光を頼みて、たどるたどる行かば、あはれその持ちたる松明は、あつたら物にては侍るまじきや。仏祖のかく言いたれば、それは違(たが)ふまじなどと言いて、わが智恵分別をば使はで、人の言葉を頼みとするは、あたら智恵にてさふらふ〟
 そのような者が仏法の寺にも、キリシタンの中にもいるのをハビアンは目にしてきた。一見、それは敬虔な信徒に見える。だが、もしおのれがそうなったら、自分はもう自分でないとハビアンは思った。
 書き上げた原稿を前に、ハビアンはもう一度筆に墨を吸わせた。
〝不干斎巴鼻庵 敬白〟
 筆先を洗い、ハビアンは深く息をついた。早春の都はまだ寒さが緩んだとは言えず、庭木のつぼみもかたい。それでも、胸の中に火が灯ったような静かな熱をハビアンは感じた。それが手足の指先まで伝わって全身を満たしているかのようだった。

[PR]
# by stan-nak | 2018-04-01 22:54 | 小説「ハビアン逍遥」(仮) | Comments(0)